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やりたいことが見えたときには
チャレンジできる環境がある。

西村 隆介

一風堂博多駅店

(現・一風堂西通り店)

最後尾のお客様に、できるだけ早くラーメンをお届けしたい

鹿児島県志布志市、豊かな自然に恵まれた地が西村隆介の故郷である。志布志高校を卒業すると、スポーツトレーナーを目指して福岡にある専門学校ヒューマンアカデミーに進学し、合わせて通産業能率短大の通信過程にて経済学を学ぶ。学校に入ると一風堂西通り店でアルバイトを始め、収入が安定すると仕送りを止めてもらい自活の生活を始める。アルバイトの収入は月15万円ほどで、十分生活は可能だった。
西通り店の店長は北川晋平。北川の仕事はとにかく早かった。手早くテキパキと早さにこだわっていた。その理由を聞くと北川は答えた。
「ウエイティングされている最後のお客様を見ろ。お前のスピードと俺のスピードを比較して、最後のお客様にラーメンをお届けするのに何分かかる?俺は最後のお客様にできるだけ早くラーメンをお届けしたい。そういう思いで仕事をしている。」と。
北川の言葉に西村は衝撃を受けた。
北川はさらにお客様と会話することが多かった。ある日北川を訪ねてこられたお客様がいた。京都からのお客様だった。西村は北川が移っていた姪の浜店を案内した。お客様と、こういうふうに繋がることもあるのかと、驚いたという。

力の源には格好いい先輩たちがいる

2009年8月、西村は町田店のヘルプに参加した。そこには、河原慎治、佐藤優介、山下元がいた。
河原は要所で場の空気を締める力がある。リーダシップのツボを垣間見た。佐藤からは挨拶の大切さを指摘された。「お客様を見ろ」と何度も指摘された。西村は下ばかり見て作業をしていた。西村は力の源には格好いい人がいると感じたという。
同年10月に社員となった西村は天神店の配属となる。社員とアルバイトの違いを深く考えることもなく、アルバイト感覚の一労働力のまま時を過ごしてしまう。
2010年1月なんば店へと配属が変わる。難波店の店長は池内塁。社員としての一連の業務は習ったが、なにせ人が足りない。日々作業に追われ、目の前の仕事をこなすことで精一杯だった。
そんな中、西通りのスタッフとめでたく結婚に至り、現在は二人の娘の父となっている。
2011年5月からは名古屋平針店へ店長として配属となる。店長にはなったものの、西村は店長の仕事の本質を理解していなかった。
「お店の方向性を示しておらず、そこに対する追求もあいまいでした。言えば分かるだろうといった独りよがりのスタンスで接していたため、大切なことが伝わっていませんでした。お店はまとまりに欠け、その結果クレームが増えてゆきました。気づきの感度も低かったように思えます。」

平針店には、熊本智明、谷上詠一、佐藤雅明たちが指導に訪れた。しかし、どうしたらよいか分からず改善することはできなかった。
「常に人が足りず、強く言ったら辞めるんじゃないかとの不安もありました。追求する弱さを自分自身感じていました。」

2015年4月からは刈谷店へと変わる。刈谷店はさらに人手が不足していた。ロードサイドで大学から離れており、近くには時給が高いトヨタの工場群があった。昼のスタッフはなんとか確保できたが夜のシフトは厳しかった。
このときも、辞められることを恐れてスタッフへは遠慮があったという。刈谷店の人材難は構造的な問題も含んでいる。現在は人材確保プロジェクトが立ち上がり、その解決への取り組みが始まっている。
そんな中、鈴木瑛二と成川一平の社員3人で頑張った。鈴木は調理学校の出身で料理の知識が豊富で仕事がとても丁寧だった。成川は自分ができることにすべて一生懸命だった。この3人で頑張れたことは大きな自信にもなっている。

博多駅店で、もう一度勉強しなおす

2016年4月からは、セカンドに降格して博多駅店への配属となる。西村は語る。
「名古屋で店長を任されたときは、チーム作り、数字づくりができませんでした。もう一度、一から勉強し直さなければと考えていました。そこで高江洲店長に出会えたことは幸運でした。高江洲店長は自分にない考え方を持っています。私は精神論に傾きがちですが、高江洲店長は、物事の背景も含めて論理的にみんなが分かるように教えてくれます。さらにそれらを数値でもって示してくれます。私の足りないところを学ばせてもらっているところです。やっと目が開いた、ものごとが見えるようになってきたと感じています。」
力の源の好きなところは、可能性が大きいところだという。自分がやりたいと思ったときに、チャレンジできる環境がある。西村はそんな経験を身近にした。それは、博多駅の『くうてん』で催されたハロウィンの企画イベントのときである。
「ハロウィンの企画がJRさんから提示されたとき、吉居さんが『ハロウィンラーメン』のアイデアを出しました。今までだと、商品開発部が担うところですが、上長の長瀬さんが聞いてくれてお店独自に提案することになりました。それが広報の前園さんに伝わり、メディアの手配等をやっていただくことになりました。一人の意思であっても、賛同する人が出てくれば、協力しあって広がっていくこと体験できたことはとても大きな学びでした。」

気づきを与えることができる先輩になる

西村は高江洲と出会って大きな気づきを得ている。実は、これまでにも気づきのチャンスはたくさんあったのであろう。しかし、そのときには西村はキャッチすることが出来なかった。
気づきを与える人と、気づきを受け取る人。仕事の場においては、あるいは人生においても、双方のタイミングがあるのだろう。力の源においては、先輩たちも含めて、気づきの場が常に用意されているのだろう。
これからの抱負について西村は語る。
「出来るだけ早く店長に復帰して、店主を目指します。また、家族と一緒にいる時間を大切にしたいですね。娘が二人なので、男の子が欲しいですね。」
西村は今28歳、短い期間に多くのことを経験できたことは貴重な財産となっているだろう。現場の経験を積み重ねてきた一人として、今度は気づき与える先輩になってくれるだろう。