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力の源で働くスタッフたちが
力の源で働いて良かったと言える現場づくりを

今野 貴美江

営業企画本部CSグループ

グループリーダー

37歳、主治医の言葉が人生を変えた

1994年、今野貴美江は一風堂大名本店でアルバイトを始めた。力の源が、新横浜ラーメン博物館に出店した年である。
経営的には厳しい時期だったが、大名本店はいつも多くのお客様で賑わっていた。皿洗いをメインとして仕事に入るが、1年ほどして咽喉部に癌が見つかる。38歳だった。今野の実の母親も38歳で癌を煩い、46歳で帰らぬ人となっていた。
母と同じ運命をたどるかもしれない……今野は辛い現実と向き合わなければならない自分に悲嘆した。
そのとき主治医が今野に言った。
「あなたの命は僕が預かる。僕を信頼して任せなさい」。その一言に救われた。今野は語る。
「この一言で自分の人生が変わりました。声が出なくなるかもしれませんでしたが、心から信頼できる先生と出会えて、どうにかして生きていけると思いました。そして命の大切さを実感しました」。
手術直後ほとんど声は出なかった。でも命があるだけで幸せだった。
9ヶ月間一風堂の仕事は休むこととなった。河原会長は、「無理のない範囲で続たらいいよ」と言ってくれた。
手術から1年後、迷惑をかけることを避けたかった今野は、最後の一日の仕事と決め現場に入った。洗い場からはみんなの楽しそうな姿が見えた。忙しくなるにつれ「いらっしゃいませ、ありがとうございます」の声が店内にこだました。
ふとした瞬間「いらっしゃいませ」の声が自然に出た。スタッフからは「今野さん声が出た」と励まされた。そして勇気をふりしぼって「いらっしゃいませ、ありがとうございます」を声にした。5回声にすることができた。
不思議な感覚だった。しかし家に戻ると声は出なかった。
仲間は、ランチタイムの3〜4時間だけでも助かるよと言ってくれた。そして、洗い場に入るとその時だけは声が出た。
仕事に対する意欲が出てきた今野は家族と話し合った。声を大事にするため、家では話をしない。そのかわり一生懸命に話を聞く。そんな約束を交わした。 今野の声帯は普通の人の1/2ほどである。主治医からは持って10年と言われた。その指示に従い、仕事は10年と決めてお店に復帰した。
それから22年、朝起きた時には低調ではあるが、仕事に入るとハンディは感じさせない。主治医も驚いていたそうだ。
「自分は生かされている」と今野は感謝の気持ちを忘れない。

自分がやってきたことに間違いはなかつた

復帰して10年が経ったころ、今野は一つの決意をした。声に対する自信も芽生えてきた頃である。
そのとき今野は、一風堂で働くスタッフ達に、「一風堂で働いて良かった」と言ってもらえるような現場を作ろうと思った。そのためには自分が厳しくならないといけない。そして店内での3つの約束事を決めた。
一つは遅刻をしないこと、一つは言い訳をしないこと、一つはトイレ掃除の徹底。この3つである。
遅刻には特に厳しくあたった。3回以上遅刻したらアウトとした。
当時学生アルバイトの一人に遅刻の常習犯がいた。今野は彼と対峙した。
「もう遅刻しないよね。今度遅刻したらどうする」と。
彼は答えた「辞めますよ」と。仲間は目覚まし時計をプレゼントする等して彼を応援した。しかし彼は遅刻して退社した。今野には非難が集中した。
「今野さんが辞めさせた、社員でもないのに」「今野さんに気に入られないと働けない」などなど。今野の心は痛んだ。
あるとき、その彼が上司を伴って大名本店を訪れた。上司は今野に伝えた。 「彼は出社すると毎朝トイレ掃除を欠かしません。遅刻もしたことがありません。アルバイトのとき叱ってくれた今野さんのおかげですと言っていました。今日は二人でお尋ねしました」。
今野は嬉しかった。「自分がやってきたことに間違いなかった」と確信できた。

それから今野は、力の源で働き始めて20年の節目を迎えることになる。2013年を最後の年にしたい。そしてこの一年間は、自分のファンクラブをつくり自分の花道にしたいと考えた。
そんな中、8月24日忘れることができない事故が大名本店で起きた。黄色ブドウ球菌による食中毒である。
大名本店は保健所より1日の営業停止を告げられる。本部からは1週間の自主休業を指示された。そのうえ数千万円の損失と伝えられた。今野は金額的な損失の責任を感じつつも、自店の1日休業だけで救われたと思った。
食中毒の被害者の中に4人の高校生がいた。一風堂のファンである。営業停止の日にはマスコミが取材につめかけた。今野たちは店を閉じ事態を見守った。
午後3時頃、ようやくマスコミの取材陣が立ち去ると今野はお店に立ち寄った。そのとき、小雨の中、今野めがけて走り寄る若者たちがいた。
食中毒の被害にあった高校生たちだった。かれらは言った。
「おばちゃんごめんね。僕たちのせいでお店がこんなことになって…」
子供たちの「ぼくたちのせいで」という言葉を聞くなり、今野はその場に泣き崩れた。
「お金では補えない命の大切さを思い知りました。食の仕事に携わるものには、衛生管理の徹底が求められることを子供たちが教えてくれました。それまでは、自分のことや、会社の損失のことばかり考えていましたが、自分のやるべき仕事がはっきりと見えてきました」。
2014年3月31日、今野は20年間のパート生活の幕を閉じた。そして翌4月1日、力の源の契約社員としての新たなスタートを切った。全国の一風堂をまわり、衛生管理の大切さを指導徹底するには社員としての立場が不可欠なのである。

衛生管理を見える成果に

今野は、 竹田、長瀬、東西の現場幹部の協力を得て、アルバイトリーダー会をターゲットとした。そこで最も重要な施策を検討した。
その結果“社員とアルバイトの情報の共有” というテーマが浮上した。そのテーマと衛生管理を結び付けることに今野は尽力した。そして1時間の枠をもらい衛生管理の重要性を訴えていった。この行動にアルバイトリーダーたちが感銘してくれた。そこから現場への道筋が開けていった。
最重点課題としたのは1時間ごとの手洗いである。チェック表を作り全店を回り100%の徹底を指導した。
「100%達成を目指しますが、100%達成が目標ではありません。100%をやり続けることにより、100%が当たり前の風土、空気感をつくることが目標です」。
衛生管理の指導を始めた2014年は60%の達成率だった。
2015年は87%、2016年は98%と、確実に成果を上げつつある。
当初は「回転率を求められるラーメン屋には無理だ」という意見もあったが、目に見える成果とともに賛同者も増えてきた。確かに力の源の風土が変わりつつある。
今野の願いは一つである。
“力の源で働くスタッフたちが、力の源で働いていて良かったと言える現場づくり”である。その取り組みの一つが、衛生管理の徹底というカタチとして定着しつつある。

感謝、そして新たなビジョンへ

今野はこれまで自分を支えてくれた仲間たち、そして河原会長にあらためて感謝の気持ちがこみ上げてくるという。
「河原会長は人を大事にしてくれます。お店がオープンするときは、アルバイトスタッフ一人ひとりの名前を呼びながらお話をされます。初めてのスタッフでもちゃんと名前を呼んで仲間であることを伝えてくれます。この姿勢はずっと変わりません。この人を大事にする姿勢は、代々伝わっていて、私もそのバトンを受けた一人として後輩に伝えてゆきます」。
今野は2014年に受講した“くしふるの大地”研修を思い出す。
「20年間現場で働き続けて、現場以外なにも知らない私にとって、この研修は衝撃でした。力の源の理念、組織とはどうあるべきか、一風堂らしさとは、など、体系的に理論的に学ぶことができました。それまで精神論一辺倒だった私に、新たな道があることを示してくれました。衛生管理の数値化もその一つの試みです。アルバイトスタッフに、会社の理念を踏まえて伝えることができるようになりました」
今野には新たな仕事とビジョンが開けている。
「次の3年間は店舗清掃に力を入れます。並行してお店の開業を目指します。長男がお菓子のパティシエを目指しています。昼はお菓子、夜はおばちゃんの小料理屋、みんながゆっくりくつろげる家族経営のお店をつくりたいですね」
還暦を迎えた今野は、新たな夢に向って闘志を燃やしている。