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自分の取り柄は継続すること。
今の時代、いろいろあっても幸せな時代、 仕事に楽しさを見つけて走り続ける。

森下 雄介

一風堂事業本部

東日本第3チームリーダー

サッカーに打ち込んだ学生時代

森下雄介は小学校から高校までサッカー部に所属してボールを追いかけた。大分の日本文理大学に進んでからもサッカーを続けた。このときのゴールキーパーが力の源の同期、岡浩之である。
森下はスーツを着た仕事に就くのは嫌だった。Webで探していたとき目に飛び込んできたのが力の源カンパニーであった。一風堂を運営していることを知り、ラーメンが好きだったこともあり応募することとした。

就職の状況を森下は語る。

「最初は二次面接で落ちました。大学の同期に岡君がいて力の源に先に内定していました。彼が人事に話をしてくれて、再度二次面接にトライできました。そこでようやく内定をもらいました。幸運でしたね」。

入社すると、横浜工場、銀座店、明大前店にて、それぞれ3ヶ月の研修を受け恵比寿店の配属となる。恵比寿店は歴史のある店舗でベテランのフリーターが多い。みんな我が強くて、チームというよりもそれぞれのやり方で仕事に取り組んでいた。新卒で入った森下は教えてもらうことなく、見てまねて学んでいった。
一年半後、横浜西口店へと配属が変わる。店長は渡辺太一だった。

森下は渡辺から多くのことを学んでいった。

「太一さんは、とにかく『一店舗を守る』ことにこだわっていました。それは会長から暖簾を預かっているからです。太一さんが横浜西口に来られたときはクレームが頻発していました。『クレームを止める』と宣言して、実際その通りになりました。太一さんは自分の価値観がはっきりしていて、それをお店で表現することに強いこだわりを持っていました。それだけメンバーに厳しく、大目に見ることはありませんでした。チーム作りに関しては難しいところも感じましたが、愛を持って接していました。太一さんは僕の最初の師匠ですね」。

森下はその後、25歳のときクロスガーデン川崎店で店長を務める。ここでは順調に売上げを伸ばし、2014年新店本厚木ミロードイースト店店長としてお店の立ち上げに取り組んだ。

新店、本厚木ミロードイースト店オープンについて森下は語る。

「この年から新店チームが発足しました。ちょうど新宿アイランドタワーのオープンと重なったため、本厚木ミロードイースト店は私を含めて経験者4人での立ち上げとなりました。スタッフは揃いましたが、経験者のサポートが手薄だったため教育が行き届かず未熟なままのオープンとなりました。押し寄せるお客様への対応で疲れきり、体力的にも精神的にもまったく余裕が持てませんでした。そんな苦境を耐えながら徐々にスタッフが育っていきました。自分自身の見通しの甘さを実感した次第です」。

一年ほど経過して本厚木ミロードイースト店が落ち着くと、森下は町田店も合わせて2店舗の店長となる。その後2016年12月にチームリーダーとなり、本厚木ミロードイースト店、クロスガーデン川崎店、二子玉川ライズS.C.店の3店舗を任されることになる。

チームリーダーの仕事については、

「一言でいうと、店長を成長させることでしょうか。そのためには成功体験が大事です。衛生管理、チームづくり、売上げなど、本人が決めたことを実行して結果を出さなければなりません。そのためのサポートやフォローがチームリーダーに求められていると思います」。

力の源の好きなところは

「先輩たちが愛情を持って接してくれます。『人』だと思います。力の源には会長を筆頭に、渡辺太一さん、緒垣俊輔さん、暖簾分け店主の方など、たくさんのカッコいい先輩たちがいます。私もそんな先輩に憧れ頑張ってきました。それと関係しますが、自分を成長させることができます。会社には、『先輩は後輩のために』『社員の成長が会社の成長』『人間力を高める』などのキーワードがたくさんあります。五十訓にも散りばめられています。そんなキーワードに自然と向かっていけますので、力の源は人を大切にしている会社だと感じています」。

ビジョンと役割について、

「チームリーダーになってまだ半年なので、先のことまではイメージできていません。まずはチームリーダーの仕事を全うして、誰からも認められる存在に早くなりたいですね。
それと、現場で危惧していることですが、最近会社を去る現場の社員が多いように思えます。会社の在り方も変わってきていますが、仕事を楽しむことが大事で、辞めるのは仕事を楽しめないからでしょう。
私たちの世代は、組織的には整備の途上で、かなりのハードワークをこなしてきた世代です。その中でも、仕事の面白さ、楽しさを見つけてきました。私自身は続けることしか取り柄のない人間なので、とりあえず辞めずに頑張ってききています。それを無くすと何も残りませんから。
その中で、暖簾分け店主の方々からもたくさんの学びをいただいています。店主の方々は力の源のDNAを色濃く引き継がれています。店主の方々と若い世代の架け橋となることも、私たちの世代の役割と考えています。『先輩は後輩のために』という言葉を具体的な形にしてゆきたいですね。それも私たち世代の役割ですね」。