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人生にいろんな転機があるとしたら
それは自分を変えるチャンスだ

白土慎太郎

一風堂駒沢公園店店長

家族で通っていた力の源に入社する

白土慎太郎は、福岡高校を卒業したのち一浪して同志社大学の教育学科に進んだ。Ky報員免許を取り教師になることが当時の目標だった。地元福岡で就活に望んだが、運悪く同年には福岡県での教員採用は行われなかった。地元の企業を探しているとき、就職説明会で巡り会ったのが力の源カンパニーだった。
白土は一風堂には家族でよく通っていた。飲食の職人になることも一つの道だと考えて試験に望んだ。2005年の同期入社は二人、もう一人は松永健太郎だった。

当時の力の源は社員数50人ぐらいの規模だった。1年間の研修期間中にほぼ全社員と会うことができ、最初の配属は工藤が店長を務める明大前店だった。2005年当時は、「TVチャンピオンラーメン職人選手権」で3連覇を果たした河原会長が、初代「麺王」の座を得た年でもありラーメンブームの真っただ中だった。
店の外にはお客様が列をなし平日でも400人超のお客様で賑わっていた。
2008年を白土は振り返る。

「仕事も忙しく、今の環境から脱却したい、現状から逃げ出したい一心で退職しました。違う環境で隣の芝生を見てみたかったのかもしれません」。

3年で退職、3年後に力の源に復帰する

白土は地元福岡に戻り印刷会社に転職する。たまたまその会社が東京に支店を出すこととなり、白土は東京配属となる。ふたたび東京に帰って来た白土は週末になると一風堂に顔を出すようになる。その白土をかつての仲間たちはあたたかく迎えてくれた。 「印刷会社に転職しましたが、職種ではなく『どういう人間になりたいのか』という思いを見失っていた自分に気がつきました。仕事に疲れて金曜日になると一風堂に顔を出していました。そのとき、自分みたいな人がたくさんいる、そういう人たちを元気にすることが自分の仕事であり、自分らしい表現だと気がつきました」。
白土はそのような思いを当時五反田店の店長をしていた緒垣に伝えた。その後、営業部長の奥長と話を交わして力の源に戻ることとなった。

現場で悩み、現場で育てられてきた

新しい職場は横浜西口店、店長は熱すぎるところが魅力の渡辺太一だった。半年間渡辺の本気と向き合ったのち池袋店の店長を任される。池袋店ではキャリアの長いスタッフが現場を仕切っていた。白土はじっくりと人間関係を築きながら徐々に自分の考えを伝えていった。スーパーサブ堺文子のサポートもあり、白土は徐々に店長としての存在感を高めていった。
2013年になると浅草店の新店立ち上げを任されることになる。ここで白土は足をすくわれる。お店の契約が破談となったのである。行き場を失った白土に、新店立ち上げチームのリーダー緒垣が救いの手を差し伸べたのである。
「浅草店という家をもらいましたが、その家に住めなくなっていました。緒垣さんの配慮に救われた思いでした」と語る。
白土は緒垣のチームに入り、新店立ち上げのチーフとして、本厚木ミロードイースト店、豊洲店、二子玉川ライズS.C.店、ラスカ茅ヶ崎店、五反田東口店と5店舗の立ち上げに尽力した。その後、駒沢公園店の店長を任されたのち、2016年10月チームリーダーとしての職責に就く。

掴もうとするものが掴めない自分がいた

白土は2008年に結婚するが3年後やむなき離婚も経験する。就職してから13年目を迎えた今、ようやく見えてきたものがある。素直な気持ちを語る。
「掴もうとするものが掴めない自分がいました。自分に足らないものがありました。自分自身との決めごと、それが小さなものでも守ることができずに逃げていました。そして、自分が相手に求めているばかりで、相手を思いやる気持ちに欠けていました。長い時間がかかりましたが、ようやくそのことに気づくことができました」。

大切なことは『どんな人間になりたいか』

力の源の好きなところを聞いてみた。 「悩んだりすることもありますが、営業に立つと、やりたいことや自分自身を表現できます。また、自分にないものをしっかりと持った先輩たちがいます。いいお手本がたくさんありますから、目を開けば自分を成長させることができますね」。
今後のビジョンについては。
「今は自分に任された仕事をしっかりとやり遂げることに力を注ぎます。そして、チームリーダーとしてマネジメントする店舗を増やしてゆきます。自分の課題やチームの課題を克服して真のリーダーになりたいですね。
大切なことは『どんな人間になりたいか』ということだと思います。河原会長が言われる『いい大人、いい社会人、いい人間』という言葉にその答えがあります」。
そして白土は次の言葉で締めくくった。
「人生でいろんな転機があるとしたら、それは自分を変えるチャンスだと思います。自分を変えることを力の源で実現したいですね。人を大切にする力の源だから、このような考えが見えてきました。自分が思い悩んだとき、力の源でその乗り越え方を学ぶことができました。今度は後輩のために、学んで来たことを伝えてゆきたいと思います。会長が言われる『先輩は後輩のために』の言葉を実践しながら」。