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働く意味は“お客様に喜んでいただくこと”。
多くの先輩たちに気づかせていただいた。

樋渡憲二

一風堂事業本部東日本第8チームリーダー

北海道札幌西陵高等学校に入ると、樋渡憲二は1年生のときから、地元で名の通ったラーメン店でアルバイトを始める。高校時代はアルバイトの思い出がほとんどである。
江別市の酪農学園大学に進学すると、今度は一風堂札幌狸小路店のオープニングスタッフとして働き始める。
店長は篠原猛、社員には東江、井出、松岡、アルバイトでは三上、松下がいた。そうそうたる顔ぶれだった。高校時代のアルバイト経験は大いに役立ったが、篠原からは度々指導を受ける。
仕事のコツを掴むと、深夜のリーダー格を任されてやりがいと面白さを味わった。一風堂の仕事を通して篠原の人柄に魅かれた。豪快であるとともに、きちんとフォローしてくれる。食事にも度々誘ってくれた。
やがて就活シーズンとなるが、樋渡はやりたい仕事が見つからなかった。いつかは見つかるだろうという甘い気持ちのまま卒業を迎え、一風堂のアルバイトも辞めて半年間ニートの生活を送る。
「同年代の友人は職に就きましたが、自分は現実から目をそらしていました。そのうちなんとかなるという甘い気持ちのまま、ダメな人間でいたようです」。

「何もしていないなら働け」、篠原は言った

そんなとき篠原から電話がかかる。「何もしていないなら働け」と。その言葉に引き込まれ、札幌狸小路店で再びアルバイトに就く。4ヶ月ほどすると湘南SEASIDE店が新規にオープンする運びとなる。篠原は、「社員になる意志があるならヘルプに行って勉強してこい」と。樋渡はその言葉に従い湘南に赴いた。そこには若手の社員たちが集められていた。矢野浩平、谷上詠一、佐藤雅明といった面々である。年代も近かった。“凄いなあ”思いつつも、いつかは追い抜きたいと心にファイトを燃やした。 1ヶ月ほど滞在したのち、一度札幌へ戻り、次は新潟店のオープンにヘルプで参加した。新潟で1ヶ月半ほど経ったとき、今度はNY店のヘルプの話が持ち上がった。海外で働くまたとないチャンスだった。当時の様子を樋渡は語る。
「英語ができず不安はありましたが、とにかく一生懸命でした。その姿を海外のスタッフさんも感じてくれて、国が違っても伝わるものは伝わると思いました。そして“笑顔とありがとう”は世界共通の言語であることも実感しました。一生懸命でいたから、みんなに可愛がっていただきました。最初の頃はアルバイトだからという見方が米国のスタッフにもあったようです。でもあるとき、認められたという瞬間がありました。そのときは嬉しかったですね」。

信頼関係の構築が店長の最初の仕事

3ヶ月間の米国での仕事は樋渡に大きな自信をもたらした。帰国後、一段落すると、樋渡は福岡で面接を受けて2009年4月社員となる。そして高崎店を経て渡辺製麺そば蔵諏訪インター店の店長として赴任する。樋渡はそのとき26歳、すんなりとスタッフに受け入れもらえない状況だった。原因は自分にあったという。
「諏訪インター店では自分が一番年下でした。グループの渡辺製麺のお店ということで、一風堂流を通そうとして妙に入れ込んでいました。一方的に自分のやり方を押し付けている感じで、特に主婦の方々とはうまくゆかず空回りしていました。やはり信頼関係の構築が必要で、入り口を間違えていました」。
諏訪インター店での3年半は樋渡の良い経験となった。その後、札幌狸小路店の店長を経て、現在はチームリーダーとして、ルミネエスト新宿店、浜松町スタンド店、町田店、たまプラーザ店、4店舗をマネジメントしている。

飲食の仕事が好き、人に喜んでもらうことが好き

樋渡は現在、関東地区の核となる店舗を統括する立場にある。
一風堂の現状とチームリーダーの役割について聞いてみた。
「一風堂が誕生してから32年、関東地区に進出してから23年が経ちました。競合店も増え、競争が激化する中で、原点に立ち戻り基本的なことを大事にしなくてはならないと思います。熱くて美味しいラーメンをサッと出す。替え玉にも気を配り即対応する。お客様に気を配り、いつも喜んでいただける営業を心がけることを再度確認しています。まずは自店で徹底してゆきます」。

アルバイトから社員になった当時を振り返ってもらった。
「当時これから社員として打ち込むにあたって、“何で社員になるんだろうか? 楽な仕事ではないのに”と考えました。そのとき自分は、飲食店の仕事が好きだ、そして人に喜ばれることが好きだということに気がつきました。自分の将来を考えてみたとき、ここで働きたいと決めました」。

一風堂の好きなところは。
「人に対して誠実なところですね。猛さんをはじめ多くの先輩と接して、この会社で一緒に働きたいと思うようになりました。そして、そんな先輩たちがいたからこそ『僕たちの仕事=お客様に喜んでもらうこと』という働く意味を見出すことができました。その答えを見つけてから、大切なことをぶれることなく、スタッフにも伝えることができるようになりました」。

ビジョンについては。
「力の源という組織の中で上を目指してゆきます。今は本部長が目標です」。
明確な言葉が返ってきた。